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ールをまわしてみたり、テレビのそばに寝かせてみたり、いろいろなことをして反応をためしていたものです。
テレビの音が大きくても、ドアがバタンと閉まっても、ビクともしないで寝ている娘を見ながら主人とふたり、「これは大物になるぞ」と、笑った当時を思い出します。そんな呑気なことを言っていた私どもも、さすがに不安になり、まだ小さくて検査ができにくいと言われながらも、耳に関するお医者さんを駆け廻りました。そうした折、主人の転勤で大阪から東京へと住まいが変わりました。
東京へ移り住んでからも、都下の大学病院や著名な総合病院などを、治療と相談に走り廻りましたが、どこの病院も検査の結果、やはり聞こえていないと言われました。しかし、「もしかしたら何か言葉を一言い出すんじゃないかしら」と、心のどこかで現実を見つめられないものがありました。そして最後に行きました日本鉄道病院でも同じことを言い渡され、「早期訓練こそが最良である」ことを、おっしゃっていただきました。検査の麻酔のためにフラフラしている娘をおんぶし、放心状態で帰宅したときのことが忘れられません。
聴カレベル百〜百五デシベルという、脳波聴検の数字をもらって、ご紹介いただいたろう学校の門をくぐりました。町田市野津田の丘にあります日本聾話学校で、私どもに希望をあたえ、救ってくださった学校であります。そこで、厳しい中にも温かく迎えて頂き、四十七年五月、初めて教育相談を受けましたのが子供の一歳七ヵ月のときでした。
その年の七月、補聴器を両耳に付け正式に入学のお許しを頂きました。乳幼児期は、週に一

 

 

 

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